プレミアママの気まぐれ育児日記  〜E”cafe〜

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zoom RSS おじいちゃん先生に会いに・・・☆ 〜ピカドンのお話〜

<<   作成日時 : 2010/08/23 14:50   >>

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A先生は 私が以前勤めていた 
健診センターに勤務されていたドクターで
現在は 御隠居生活を送っていらっしゃる


旅行に行かれるだびに 
その写真付きのお手紙を送ってくださり
お元気そうなのが伝わってきて 安心する


次男坊を妊娠中に 遊びに行かせてもらったが
産まれてからは 一度も顔を出してなかったので
子供たちを連れて 遊びに行っていた


画像



相変わらず 『人見知り』ということを知らない長男は
好き勝手に遊びだして
A先生と奥様を 『じ〜ちゃん ば〜ちゃん』 などと呼び
遊んでモード前回であった・・・    


画像

        お借りしたオペラグラスで 大きい世界&小さい世界を堪能中


奥様が長男の遊び相手を引き受けてくださり
家じゅうを 『ば〜ちゃん』と探検して回っていた・・・すいません


今回一緒に A先生宅に行ってくださったのが
当時 事務長をしていた Iさん。


久々の再会で 私たちは会話が止らなかった


画像

      長男が撮影  :  A先生 Iさん 次男坊 私


いろんな会話を楽しんだが 
最後にA先生が ある手紙を見せてくださった


それは 最近A先生に届いたそうだ。


その内容は A先生が通っていた 国民学校生全員の所在。
国民学校 : 今で言う小学校




A先生は 子供の頃 名古屋に住んでいたが
お父様(医師)が 軍医にとられ
母子家庭だったそう。


そんな中 そろそろ名古屋が爆撃対象になるかもしれないから
親戚のいる 広島に移りなさい と
おじい様から言われ
広島に 移ったのだそうだ。


その後 間もなく 名古屋が爆撃に合った。


おじい様は とても頭のいい人で 戦時中の読みも的確だったそう。


当時 絶対 口にしてはいけなかったが
日本が負けるのは 目に見えていた。


アメリカ軍が 日本を占領後 
九州の別府は娯楽地として残すだろうから
広島を出て 今度は別府に 移りなさいと・・・。 


母子家庭同然だったA先生親子は
すぐに別府に移ったが
親戚一同は すぐには移れず
そうこうしているうちに 原爆が投下された・・・。


おじい様は 広島が狙われるのは予想できたが
まさか 原爆だとは思ってもおらず
広島に留まったままの 子供たちや孫たちが
一瞬に死んでしまったことを 手紙で別府に送ってきた。


その文章は おじい様らしからぬ 支離滅裂なもの。


錯乱状態で書いたのだろう・・・と A先生。






A先生に 最近送られてきたのは
当時の 広島の国民学校生の所在。


資料なんて 原爆で何もかも消えてしまっただろうに
どこかの誰かが 1人残らず 所在を調べてくれたのだ。


その 内容を見せていただいた。


そこには 名前と所在のみが書かれていて
半数近い名前の横には  『原爆死』 とあった。


生き残った人たちの 所在には
現住所や 病死の文字が並ぶ。


広島とはかけ離れた この地に
こうやって 自分を探して 資料を送ってくれた誰かに
先生は とても感謝されていた。


そして 生き残らせてくれた おじい様にも感謝されていた。


今 生きていることに 感謝されていた。




その他にも 原爆が落ちた直後の
悲惨な 人間の様子などを たくさん聞かせていただいた。


『はだしのゲン』 のマンガでしか見たことのなかった
痛々しい 人間の様子を・・・。


皮膚がずるずる剥け
手を下ろすと 激痛が走るので
みんな ゾンビのように 両手を前に出しながら漂い歩く・・・。


喉が渇いたと 水を欲するも
当時の医師たちは 水は与えてはいけないというので
一口の水ももらえずに 死んでいく人たち・・・。




私は 戦争を知らない。


A先生が こんなに激動の子供時代を送られていたことも
初めて知った。


当たり前のように 家でゴロゴロ過ごしていたが
それが どれだけ幸せなことか 
私なりに 改めて 痛感した。


戦争を生き抜いた人の 生の話を
子供たちが大きくなったら 聞かせてあげたい。





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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
戦争に行かれた方は、心のどこかに人に言えないような苦しみを抱えているのかもしれません。
祖父も戦争に行きましたが、あまり戦争の事は話したがりませんでした。それほど悲惨な体験だったのでしょうね。
しかし、平和ぼけしてして今、幸せに暮らせる事を当たり前だと思っている。。。本当は感謝すべき事なんですね。
息子さんみたいな人ばかりなら、世界は平和なのにねぇ(笑) =^_^=
よしお
2010/08/24 16:03
A先生、前回の記事覚えてます。
今回は広島の話…身近に感じてしまいました。
8月6日は登校日で平和学習が私が小さい頃からあります。
小さいころから映画や話を色々聞いてきました。
主人のお父さんは原爆にあっています。
そして主人は原爆二世です。
ひいおじいちゃんは原爆がおちたあと、死んだ人を運んだりする役をしたそうです。
ひいおじいちゃんはもういません。
もっと話を聞いておけばよかったと思いました。
主人のお父さんは兄弟を亡くしているので、あまり話したがりません。
毎年、8時15分にはテレビの前で黙とうをしています。
もう少し子どもたちが大きくなったら平和資料館へ一緒に行きたいと思っています。
ももんが
2010/08/24 20:07
戦争の悲惨さや原爆のむごさは絶対に語り継が
なければいけませんね。
けして忘れてはいけないことだと、
私も思います。
普通に精一杯暮らしている人たちが原爆を
落とされて悲惨な最期をとげたこと、生き残った
人たちのつらい思いを忘れてはいけない。
子供たちにも語っていかなければなりませんね。
ミッキママ
2010/08/24 23:35
最近長女が戦争にとても関心を示すようになりました
よく図書室で本を借りてきて読んでいます
私自身はもちろん、両親も戦争を経験していません
でも決して忘れてはならない歴史
私も子供たちにちゃんと伝えていかなけれはならないと思ってます
プレミアママさんの記事を通して拝聴したおじいちゃん先生のお話、心に響きました。
Jill
2010/08/26 18:24
よしおさん

本当にそうですね。
平和ボケしてしまってて、小さなことに不平不満を言ってみたり・・・。
戦争という歴史は、本当にあった出来事だとわかっていても、どこか遠いものだと無意識に思っていました。
体験者や被害者の身になって考えたら、それがいかに失礼なことか痛感してしまいました・・・。
プレミアママ
2010/08/27 10:36
ももんがさん

ももんがさんの旦那さん親子にはとても身近なお話だったんですね・・・。
子供たちに戦争の歴史を伝えるのって、とても難しいことだと思います。
親の私ですら、どこか遠い存在に思っていたのに・・・。
でも、この悲惨な出来事が本当に起こったんだと、私も一緒に勉強して子供たちに教えてやりたいです。
プレミアママ
2010/08/27 10:39
ミッキママさん

本当にそうですよね・・・。
普通に生活していたのに、一瞬にして全てを奪われた人たち・・・。
生き残ったとしても、体や心に致命的な傷を負い、そのことを思い出したくもない人たち・・・。
確かに『原爆』という悲惨な出来事があったのだということを子供たちに時期に話してやりたいです。
プレミアママ
2010/08/27 13:51
Jillさん

自分から進んで調べているのですね。
立派です!!
親の私たちでさえ、体験したことのない悲惨な『原爆』。
どう説明したら子供にもそれがとてつもない過ちだと説明できるか、私も一緒に勉強していきたいです。
プレミアママ
2010/08/27 13:54

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